今年も『浜崎伝建おたから博物館』の季節が巡って来ました。
かつて港町として栄え伝統的建造物群保存地区(伝建地区)に指定されている浜崎で「まち」や家々が開放され、地域の「おたから」が公開される恒例の楽しいイベントです。
地元の地域おこしグループ「浜崎しっちょる会」と市の企画で18回目。同地区は日本海に面し、江戸時代には鮮魚問屋などの屋敷が並び、萩城下の港町として栄えた。現在も江戸時代から昭和初期までの建物が約140棟残る。当日は、吉田松陰や伊藤博文の書、坂本龍馬の書をあしらった萩焼茶碗などが軒先に並ぶ。
(5月17日・読売新聞より)
今年は毎年お世話になっていた大島家から中村家へ場所替え。
当日お越しいただけなかった方に今年の展示を紹介しましょう。
[パネル展示]
「明治40年頃」と「昭和50年頃」鶴江台からのもの。対岸の浜崎をはじめ指月山を望みます。
二枚を比較するといろいろ見えてくるものがあります。
来場者にインパクトを与えたのが米軍撮影による航空写真です。
昭和20年(1945)4月13日、高度32,000フィート(10000M)
から撮影されました。
太平洋戦争末期、日本の主要都市や軍事拠点をほぼ破壊し終えた米軍は、続いて日本の中小都市の爆撃を計画し、その中に萩も含まれていた!のです。
「SECRET」の文書中、No.157に「Hagi」の文字を確認することができます。 (2010年1月2日 萩博ブログより抜粋)
詳しくは平成21年11月末から平成22年1月末にかけて行われた萩博物館の企画展示『~タイムスリップ~城下町 萩のひみつ』のブログをご覧ください。
(http://hagihaku.exblog.jp/12600962/)
[紙焼きの写真展示]
昭和50年と平成20年の浜崎の町並みの新旧対比、住吉祭りの風景、中には大正期に撮影されたものもあり。そして萩の空から眺めた航空写真等々。
実は今回一番盛り上がったのがこの紙焼きの航空写真かもしれません。
「浜崎上空から三角州の南方向(江向)」「明倫館周辺」「萩製紙工場」「常盤橋が架かっていない時代の堀内から玉江方面」など、色々な方角から
写されているのですが、一枚だけどうしてもわからないものが…
ああでもないこうでもない、お客さまも班員もそれぞれの持論を展開します。
「中津江に住んでいたがこれは中津江橋ではない」「消去法でいくと○○橋になるのでは?」
「二ヶ所比較的大きな洲があるが、橋本川には洲が見られないのでこれは
松本川に架かる橋のどれかだろう」
いろいろ意見は出ますがどれも決定打に欠け、結局班員の中では
「これは萩ではないのでは?」と逃げの意見に傾きつつあるのかも…
そこで読者の皆さまのお知恵を拝借いたしたく存じます。
いったいこの場所はどこでしょうか?記憶力抜群の方をご存じありませんか?
この場所が確定しないとどこかに忘れ物でもしたようでどうにも落ち着きません。
「あ、これ知っちょる!」「○○橋じゃあね」と記憶が甦った方はぜひお知り合いの古写真班班員、もしくは「NPO萩まちじゅう博物館」(☎0838-25-3177)までご一報下されば幸せます。
「橋の左右にある洲」
「写真右上に見える橋から延びる白い道?塀?」
「橋手前のこんもりした森とその下の塀?池?」
ヒントらしきものはあれどなかなか手ごわいです
画像をクリックされたら大きいものをご覧いただけます。
またとない好天に恵まれ大勢の人でにぎわい、古写真班のおたから博は終了しました。
当日お運びくださった皆さま、会場をご提供くださった中村さまには重ねて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
また一年後に新たなおたから写真を提供できるよう、日々活動に励んでいきたいと思っております。
NPO萩まちじゅう博物館 学芸サポート・古写真班 Y・T