2018年6月20日水曜日

まち博おたから情報班 相島調査


「まち博おたから情報班」では、平成21年から記録用紙とデジカメを片手に町筋ごとに、伝統的建造物の情報収集に取り組んでいます。
収集した伝統的建造物の特徴、画像、所在地などの情報をWEBアルバムやマップにまとめ、「町筋に明治・江戸を訪ねる」のタイトルで公開しています。
昨年の大島調査に続き、相島の調査を525日に実施しました。

相島への定期船は3便/日と少なく、朝一番(8時萩商港出港)の船に乗船すべく、班員一同早くから港に集合しました。ただし、相島には食堂・弁当屋さんが無いとのことで乗船までに弁当の確保に一苦労しました。
相島までは約40分の船旅だけど、慣れた人達は出港するとすぐに船室で横になって仮眠、またはお喋りと夫々貴重な時間を過ごしていました。班員の中には、相島出の人と仲良くなり、島に着くまで島の情報収集に励んでおりました。
相島に着くと、市役所の職員が、県の職員を迎えに来られており、我々も挨拶をし、荷物を預け、さっそく調査にかかりました。5時間余り(最終便が14時出港)の調査をどうするか検討し、全員で行動を共にすることにしました。(大島と比べると、住居範囲が狭く、時間内に調査終えられると判断しました)
島内の路地を、あちこち歩きまわり気が付けば島内での歩数は約1万歩でした。
相島の特徴等気付いたことを映像とともに報告します。(古民家を除きます)



・石垣



・相島の特産「スイカ」
 「スイカ」は昭和28年ごろから栽培されるようになりました。甘くて大きくて肉質の良いのが相島のスイカです。スイカの花は4月の中頃咲き、これからの作業が大変だそうだ。(1株当たりツルの数を3本程度に整え、つるの先の方に花がつくように芽カキをします) 実ったスイカの取入れ作業は、夜中から早朝にかけて行われ、定期船等で出荷されますが、大きく重いスイカ港に出すのも大変な作業です。
今年のスイカの出荷式は61日とかで港にはスイカは一つもありませんでした。畑にはスイカが生っていましたが、遠くから見ると葉と実が同系色なので、判別が難しかったです。相島にはサル・イノシシはいないので鳥獣被害はないと思われたが、カラスがビニールハウスに穴をあけ、スイカを突くので、ビニールハウスの上に更に網を被せてカラス対策をしています。
なお、毎年3月にスイカオーナーを募集しています。皆さんもスイカオーナーになりませんか?




・相島八幡宮、大歳宮





・各家庭に冷蔵庫が23台保有
 スイカの出荷が始まると忙しく食材を買いに行けない、或いは年に何回か船が止まることがあるので非常用食材を確保のため、各家庭には冷蔵庫が23台必要のようだ。
また、学校給食も船が止まると、牛乳はないけれども冷凍食材を使って調理されているようだ。
(定期船が欠航となると島の生活に多大な影響を及ぼしていることが良く分かる)



・島唯一の横断歩道
30代、40代の人が小学生の頃 都会に出た時に困らないように、横断歩道や標識があり教材として作り、小学校の授業として使った。現在の子供たちは、萩に出ることも多く、島では昔のように勉強していない。




・水道
相島の水道はどんな状態なのか調べてみました。
大島は萩市から海底配管で水が送られており、市内と同じ上水道となっています。ここ相島は簡易水道です。相島全土の水道水は、ここの浄水場でつくられています。相島簡易水道は、昭和37年の創設され「大久保水源」と「宮ノ甲水源」より汲み上げられた地下水をろ過機により浄水し、配水池から各家庭へ届けられています。



右上の写真は、平成18年に萩博物館が実施した「萩再発見ツアー相島の巻」で撮影した写真です。
このときの説明は”ふつう井戸といえば地下水をくみ上げるもの。しかしここの井戸は、空から降ってくる雨の水を貯える井戸だというのです。確かに、よく見ると屋根から井戸に樋(とい)がつながり、雨水がちゃんと井戸に入るようになっています。相島は水が乏しいため、決して水をむだにせず、一滴の雨水でも生活用水に使おうという島の人々の知恵がほどこされていたのです。”


ここで水道の他に大島と相島の違いを2~3記載してみましょう。
大島は専業農家・専業漁業者が多いが、相島は半農半漁の家が多い。
大島は港の近くに住居が集中し、台地の上に畑がある。
相島は台地の上の中央に住居が集まっている。(港の近くには住居がない)
大島は畑の近くに農機具を置く小屋がある。相島は住居の近くに農機具置き場がある。(家の前で作業する)
相島には駐在所がない。