私たちが今回の研修先として「宮本常一記念館」を選択したのは過去に何度も宮本写真を使用しての展示会や出前活動を開催してきたことに加え、古写真班担当学芸員でもある清水館長から「宮本常一のまなざしを追って・萩」展(*後述)開催から10年後の現在を残してみようとの依頼で取り組みを始めたからに他なりません。
ここは離島振興や農山村の地域づくりの実践者である周防大島出身の民俗学者宮本常一の貴重な資料を保存展示し、地域づくりや人材育成のために活用することを目指した施設です。
入口に大きく「宮本常一記念館」との表示があり、調べてみると一昨年に公募でこの愛称が決まったようです。
こちらへは2009年12月の訪問を皮切りに、2010年9月の「第四回宮本常一写真講座」のパネラーとしての参加等、宮本常一関連で過去何度も訪れています。当時のブログはこちらから⇒「民俗学者 宮本常一さんの“まなざしを追って”本丸へ入城」
http://machihaku.exblog.jp/10560734/
「第四回宮本常一写真講座」
http://machihaku.exblog.jp/12030381/
今回も清水館長が同行してくださり宮本常一記念館の高木学芸員の案内を受けました。
高木学芸員は「宮本常一のまなざしを追う・見島編」で2010年7月のフィールドワークにも参加、古写真班の活動もよくご存知です。(当時のブログはこちらから⇒http://machihaku.exblog.jp/11650634/ )
「宮本はインタビューの際メモを取らないと言われているが写真を見ると実は取っている。聞いたそばから編集しながらメモを取っている。しかもそれが(メモの段階で)文章になっている」との高木学芸員の言葉を裏付けるように、そこには細かい字でびっしり記録された宮本手書きのノートもありました。
ちなみに過去の「萩博ブログ」を読み直したところ、こんな興味深い記述を見つけました。
清水館長が2008年1月1日付で書かれたものです。http://hagihaku.exblog.jp/7888127/
高木学芸員は「宮本は日本の全国各地を旅し数多くの写真を撮っている。しかし萩ほど多くまとまって撮られた地域はない。その意味では萩の写真群はとても貴重なものである」という趣旨のこともおっしゃいました。
旅の足跡と記されたパネル 訪れた場所と日時が一目瞭然
下は山口周辺を拡大したもの
冒頭で述べたように古写真班発足の平成19年(2007年)、12月末から翌20年4月にかけて「宮本常一のまなざしを追って・萩」展が催されました。
その展示では「萩を旅する民俗学者・宮本常一」が遺した萩の写真の数々が紹介されています。
それに合わせ昭和35~37年に撮影された場所の特定や情報収集の手伝いのため、発足間もない古写真班の面々も清水学芸員(当時)とともに見島に同行しています。
過去の写真を元に現在を写す古写真班の新旧対比方式の始まりでもありました。
この手法が現在もそのまま引き継がれ、数多くの展示会に使用されています。宮本の撮影から60年近くを経た今、昭和35年版(1960年)・平成19年版(2007年)・平成29年版(2017年)と3枚の写真を並べるとどんなことが見えてくるのか、一枚の古写真を元にその50年後・60年後と比較できる初めての試みの完成がとても興味深いところです。
清水館長がしばし口にされる「変わったところ・変わっていないところ・変わってほしくないところ」をそれぞれいろんな想いで見つめることでしょう。
日々宮本写真に触れ、活動に携わることのできる私たちにはとてもありがたく恵まれているのだと改めて気づかされたような気がします。
萩まちじゅう博物館 学芸サポート・古写真班 Y・T