2018年11月22日木曜日

おたから情報班こて絵のまちへ(研修報告)

おたから情報班の30年度の研修は、鏝絵(こてえ)の残る豊浦町室津の路地裏散策と決めました。(鏝絵とは、漆喰を塗った上にコテを使って浮き彫りの様に風景や肖像などを描き出した絵のことです。
ボランティアガイド(要予約)さんと室津公民館で待ち合わせ、室津の路地を案内いただいた。まず、公民館横に保存されている鏝絵を説明された。
(家屋の建て替え、壁の修復等で多くの鏝絵が消滅していくなかで、室津地区では このようにレプリカとして保存されている)


鏝絵を求め全んど人通りの無い室津地区の路地裏を90分余歩き回りました。
家屋の壁面に残っている鏝絵23点写真で紹介します。

浦島太郎


大黒・恵比寿




なぜ室津に多くの鏝絵があるのか?ガイドさんに問うと、明治24年と34年に2度の大火災に見舞われ室津の大半が焼失し、復興にあたり家の壁面に赤土で固め、その上に漆喰を塗る延焼防火対策がとられたが、漁村の室津浦には左官職人がおらず、「石州左官」と呼ばれる集団が乗り込んで村の再建に協力した。この人たちが家屋の再建のときに周囲の美観を考えたのか、魔よけまたはお祝いのはなむけに描いたのか定かではないが、鏝絵の誕生の由来だと伝えられています。
この中の左官職人の一人が、後の室津の鏝絵の名人と呼ばれた『伊沼田桝市」こと富士永桝市さんです。室津の鏝絵は、殆どがこの人の作といわれておりますが、定かではありません。またこの人の存在を知っている人は、現在いないため、殆ど謎に包まれた伝説の左官職人(鏝絵の名人)です。

萩市明木も、室津と同時期(明治24)に大火があり、殆どの家が焼失し、この大火を教訓に、また、冬寒く雪が多いため、雪が滑りやすく水分を含みにくい石州産の赤瓦を使用した家が多い。ここでも石州の影響を受けているが、この地方には鏝絵はほとんど見受けられない。
では萩市には鏝絵が無いのか、これまでの調査で見落としたのか再調査したところ、数点ありました。




また、土蔵のこれらも鏝絵と呼べるのかな?



これからも調査を続けていきます。
情報をお持ちの方、ご一報お願いします。
(参考) 鏝絵の町として、近辺では、
鳥取県東伯郡琴浦町光地区(48戸のうち24)
大分県宇佐市安心院(70以上)などがあります。