2017年6月15日木曜日

浜崎おたから博にて~5.21

雲ひとつないさわやかな五月晴れの一日、恒例の「浜崎伝建おたから博物館」が開催されました。今年は記念すべき20回目の開催でした。






毎年恒例のおたからスタンプラリー・伝建地区ミニツアー・各家秘蔵の貴重なおたから展示等に加え、今年は平安古備組(ひやこそなえぐみ)による大名行列も披露されました。






古写真班の写真展示は本年も浜崎の写真を中心に選択しました。

①当班担当学芸員である清水館長の撮影による「萩・再発見」の2016年バージョン。1999年撮影の市内各所の画像を2016年撮影のものと比較してみました。


浜崎地区は2001(平成13)11月に伝統的建造物群保存地区に指定されています。電柱の地中化が進み街並みがすっきりして見える以外はほとんど現在との差を感じることはありません。「本当に変わっていないのですね~」と、驚きを持って見られるお客さまが多かったようです。


②かつての浜崎のぎわいを思い出させるものや住吉祭りの風景など。
(「懐かしい大正・昭和のまち」「潮の香りする町」「昭和50年頃のまち」「伝統のあるまち」)




パネル展示は新しいパターンを用意してみました。


安政元~二年(185455年)の萩城下町絵図
細部までわかりやすくと、浜崎地区を拡大したものを添えています。
(明倫館より北側)



②終戦直前の1945年(昭和20年)7月5日、米軍撮影の萩三角州の航空写真 は今年も外せません。上空30000フィート以上の高空から撮影された大変高精細なものです。


太平洋戦争末期、日本の主要都市や軍事拠点をほぼ破壊し終えた米軍は、続いて日本の中小都市の爆撃を計画します。
戦争の継続を、より困難にさせるという目的です。
その際、人口を基準に180の都市が目標としてリストアップされます。
実は、その攻撃目標180都市のリストの157番目に、「Hagi」が掲載されています。
そうです、萩は攻撃目標の一つだったのです。
それ故に、先にご紹介した偵察写真が撮影されているのです。
しかし幸いなことに、萩の「まち」は、敗戦により爆撃を免れました。

城下町萩のひみつの7 ~大きな災いを被らなかった「まち」~より
  
        




①椿東の城腰山(じょうのこしやま)山頂より撮影の、松本川を挟み浜崎・指月山方面を望む写真。明治40年頃・昭和56年頃の2パターンあり比較ができます。




今年も好天に恵まれ古写真班の「浜崎おたから博」は無事終了しました。




わざわざ足をお運びいただいた方、偶然立ち寄り熱心に見ていただいた方、班員一同御礼申し上げます。
今後もこうした写真展示やスライド上映会等、懐かしい萩の写真をご覧いただけるよう可能な範囲で少しでも多くの機会を持ちたいと考えております。
特に一昨年より一年半かけて完成させた228箇所の新旧対比の「萩・再発見」はぜひとも日の目を見るべく計画中です。
また周防大島出身の民俗学者である宮本常一撮影による昭和35年の萩の姿を現在と比較する取り組みも開始したところです。
より満足のいく展示ができるよう少しずつ準備を進めております。

多くの写真資料を眠らせることなくデジタル保存し利活用する、そしてその展示を見ていただくことで初めてその写真や私たちの活動が生きてくるのだと思います。
ご覧いただく皆さまの声が私どもの大きな励みや支え、そして力となります。
小さなご意見、ご感想等がございましたらいつでもお声がけください。
心よりお待ちしております。

萩まちじゅう博物館 学芸サポート・古写真班 YT